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お遍路データ

3回り目の4/5のお遍路データです
区切り打ち3-3

空き缶ペットボトルは4本/1km
香川県は市街地が多いという理由もありますが少ない方です

この区間ではお勧めの旅館は風のくぐるです
但しゲストハウスなのでそういう交流が苦手な方は避けた方が良いかも知れません

今回も何度かスマホの電池が切れてしまいました
電池が切れて困るのは宿への連絡ができないことと
歩数(歩行距離)が正確でなくなってしまうこと
先日、意を決して携帯ショップに行きバッテリー交換を依頼
交換費用¥3850円(なんとかプランという修理費サポートプランに入っていての価格)
納期は2週間から3週間かかるとか
但し、代替機を貸してくれて実際の不利益は
修理出しの時と受け取りの時に時間がかかること以外はほぼなしです

ともかく別格中最も険しいと言われる別格20番大瀧寺が残っています

7 Comments

F爺・小島剛一  

円環の定義

「MJBぢぢい」さん

八十八箇所巡りの「円環」の定義について質問です。

〈9番・法輪寺で待っていて歩きのお遍路さんを見かけると話し掛ける地元の爺様がいて、こういう意味のことを言う〉
と何人ものお遍路さんから聞きました。
【9番さんから歩き始めて順打ちで88番さんまで行き、そこから10番さんに抜けて9番さんに戻る。そのあとで1番さんまで歩けば、1番さんと9番さんの間を無駄に二度歩かないで完全に一巡りできる】

F爺は、その爺様に一度も遇っていません。

爺様の「円環」の定義を「ぢぢい」さんは、いかがお考えになりますか。

F爺は、爺様の「円環」説を改良して、
[1]〈9番さんから歩き始めるなら、真っ直ぐ11番さんに行くのが正解。10番さんと9番さんの間を二回歩く必要は無い〉
[2]〈10番さんから歩き始めれば、10番さんと9番さんの間も無駄に二回も歩かなくて済む〉
という計算をしました。

爺様の説も、F爺の二つの案も、
「円環を全うするのに、無理に88番さんと1番さんの間を歩く必要は無い」
という考え方です。

2020/03/19 (Thu) 01:13 | EDIT | REPLY |   
MJBぢぢい

MJBぢぢい  

円環論

小島先生へ

今回は円環論ですね

〇前置き
私は88番門前の八十窪で3回泊まりましたが
3回とも88番さんから1番さんに向かわれるお遍路さんは
宿泊客の半数を越えたことがありません

また、車遍路さんから
「なぜ88番から1番まで歩くのですか?」と真顔で質問されたこともあります

「88番さんから1番さんまで歩いて円環を完成させる」ということが
お遍路の中でも少数派の「歩き遍路」の更に一部の方の遊びでしかない
と前置きして私論を述べさせていただきます

※私もその爺様に遭った?遇った?ことはありません

〇円環を完成させるとは
私は、2回は88番さんから10番さんに抜けて1番に向かいました
(いずれも中間のお寺にお参りしていません)
1回は88番さんから3番さんに抜けて1番さんに向かいました
3番さんは境内を通りましたがお参りはしていません

私の中では
「結願した後、発願の札所にお礼参りする」こと=「円環を完成させる」ことです
3回とも1番さんから歩き始めましたから、1番さんに戻ること
それが円環を完成させることです

途中経過やルートはあまり問題にしません
1番から9番を二度歩かなくて済むというのもどちらでも良いのです

ただ、個人的には
88番さんから直接1番に出るのが一番円環として「美しい」と思っています
その理由でいつか88番さんから1番さんへ抜けてみたいのです
ただ「美しい」、単にそれだけの理由です

その爺様の方法では
全体が磯野浪平の頭髪状態になってしまいませんか(笑)
あまり美しくありません
(と言っている私も3回とも磯野浪平状態でお礼参りしているのですが(^_^))

>無理に88番さんと1番さんの間を歩く必要は無い
「無理に」歩くことはありませんが「良い道」です(^_^)そう険しくもありません
また、10番さんから2番さんまでの間でどうしてもまた訪れてみたい札所はありませんが
1番さんに向かう途上にある四国総奥之院・與田寺は訪れる価値がある良いお寺だと思います

このルートの難点は
ほとんどお遍路さんが歩かないので、道標が非常に少ないことと
ここは絶対のお勧めというお遍路宿・温泉宿がないこと
遍路道にごみや空き缶ペットボトルが多いことです


〇結論
私は88番から直接1番に出て出来上がる円環が美しいと思うけれど
結局その人それぞれで良いのでは?

2020/03/19 (Thu) 09:28 | REPLY |   

F爺・小島剛一  

Re: 円環論

「MJBぢぢい」さん

>私は88番門前の八十窪で3回泊まりましたが
3回とも88番さんから1番さんに向かわれるお遍路さんは
宿泊客の半数を越えたことがありません


F爺は、「八十窪」で4回泊まりました。閑散期に当たっていたという事情もありますが、同宿のお遍路さんで翌日1番さんに向かうとおっしゃる人に遇ったことはありません。

でも、10番さんと1番さんの間で
〈結願の後、1番さんに向かう途中〉
だとおっしゃる方には、遇っています。

「八十窪」では、F爺が「明日は歩いて10番さんに抜ける」と言うのを聞くと大女将も若女将も頷(うなづ)いてにっこりしますから、少数派とは言っても「珍しい」わけではないと思います。

>車遍路さんから
「なぜ88番から1番まで歩くのですか?」と真顔で質問されたこともあります


F爺は、真顔で、心底驚いて
「今時、歩いて遍路ですか」http://fjii.blog.fc2.com/blog-entry-57.html
と言った「車で札所巡りの人」と遇ったことがあります。

F爺作詞作曲の合唱曲の一つhttp://fjii.blog.fc2.com/blog-entry-1147.htmlは、その言葉が引き金になって生まれました。

>「88番さんから1番さんまで歩いて円環を完成させる」ということが
お遍路の中でも少数派の「歩き遍路」の更に一部の方の遊びでしかない


御意。

>私の中では
「結願した後、発願の札所にお礼参りする」こと=「円環を完成させる」ことです
3回とも1番さんから歩き始めましたから、1番さんに戻ること
それが円環を完成させることです


F爺も、初めの頃、そう考えていました。

1番さん以外の札所から歩き始めることをした後、「結願」の自分なりの定義を変更しました。
「八十八箇所の札所を巡ること」
では足りないと思うようになったのです。

具体的には、
「24番さんから歩き始めて23番さんで打ち止めにする」とか
「38番さんから歩き始めて37番さんで打ち止めにする」とか
のやり方は、誤魔化しだと思うのです。

>その爺様の方法では
全体が磯野浪平の頭髪状態になってしまいませんか(笑)


磯野浪平」って誰だろう ? ああ、サザエさんのお父さんの磯野平のことか》
「磯野波平の頭髪状態」は、面白い表現ですね。F爺は、
〈「円環」ではなく「御玉杓子(おたまじゃくし)の尻尾」〉
だと常々考えていました。

>私は88番から直接1番に出て出来上がる円環が美しいと思う

F爺も、その考え方に賛成です。でも、例えば、
【38番・金剛福寺を起点とし、西海岸を北上した後、88番さんから1番さんに抜け、2番さん、3番さんと歩いて、四万十河口からは東海岸を南下して足摺岬に戻る】
という円環も美しいと思いますよ。

>結局その人それぞれで良いのでは?

勿論、そうです。

ただ、交通機関を随所で利用したのに「歩き通した」と著書に嘘八百を書くような輩は、似非遍路です。

2020/03/19 (Thu) 21:50 | EDIT | REPLY |   

F爺・小島剛一  

追申 Re: 円環論

「MJBぢぢい」さん

上のコメントに言葉足らずで判りにくい箇所があるのに気付きました。

F爺の当初の考えは、こうでした。
〈1番さんから歩き始めて88番さんで結願。または、例えば33番さんから歩き始めて32番さんで結願。その後で最初に参拝した札所に戻れば「円環」が完成する〉

今の考えは、こうです。
〈1番さんから歩き始めたら、88番さんから1番さんに戻り「円環」を完成させた時が結願だ〉
〈33番さんから歩き始めたら、32番さんの後で33番さんに戻り「円環」を完成させた時が結願だ〉

言い換えると、
〈結願の後で「円環」を完成する〉のではなく
〈「円環」を完成させた時が結願だ〉
という考え方です。

2020/03/20 (Fri) 02:32 | EDIT | REPLY |   
MJBぢぢい

MJBぢぢい  

円環論の続き

小島先生へ

>同宿のお遍路さんで翌日1番さんに向かうとおっしゃる人に遇ったことはありません。

残念ですが、やはり我々の方が少数派なのでしょう
八十窪の若女将も「毎日お遍路さんを(長尾、志度まで下るコミュニティバスに乗ってもらうため)
中山バス停まで送っています」とおっしゃっておられました

>〈結願の後、1番さんに向かう途中〉だとおっしゃる方には、遇っています。

私も何人かにお会いしています
ゆっくりお話しすることはありませんが

>少数派とは言っても「珍しい」わけではないと思います。

私は2回、他のお遍路さんと一緒に八十窪を歩き始めています
結局は各自のペースで歩いて離れてしまうのですが
八十窪での経験や女将のお話以外に明確な根拠はありませんが
歩き遍路の10%~20%くらいではないかと思います


>「今時、歩いて遍路ですか」http://fjii.blog.fc2.com/blog-entry-57.html
>と言った「車で札所巡りの人」と遇ったことがあります。

それは悲しい出来事でしたね
歩き遍路として尊敬してほしいとか尊敬されたいとは思っていませんが
なにか全否定されたような気持になります

>〈「円環」を完成させた時が結願だ〉という考え方です。

私は今も納経印を集めていますので
やはり結願は「発願のひとつ手前の札所」です
しかし発願の札所に戻ってお礼参りすることも必須要件です
ですからほぼ同じ考え方です

ただ、現状としてそう思っておられる歩き遍路さんが少ないことはとても残念なことです

2020/03/21 (Sat) 17:58 | REPLY |   
MJBぢぢい

MJBぢぢい  

満願というのは

追申です

最初にお参りすることが「発願」
最後八十八ケ寺目(通常は発願の1つ手前のお寺)にお参りすることが「結願」
発願のお寺にお礼参り=円環の完成をもって「満願」
ということではいかがでしょうか

霊山寺で出しておられる証書は「満願証」ですし
「満」は月が満ちるなど「円環が完成する」に通じるところがあります

2020/03/23 (Mon) 11:01 | REPLY |   

F爺・小島剛一  

To MJBぢぢいさん RE: 満願というのは

「MJBぢぢい」さん

>「満」は月が満ちるなど「円環が完成する」に通じるところがあります

ああぁ、叶うことなら「満願の夕に満月を仰ぐ」ように計画を立ててみたくなります。魅力的なご提案です。

ただ、結願と満願を別の意味で使い分けようということは、高野山の奥の院やら京都の東寺やらが既にやっていると聞いています。納経料欲しさに
「結願」の後でうちにも来い。「満願」になるぞ。「成満」になるぞ。もっと有難いんだぞ
と言っているのです。阿漕です。

真言宗徒でないF爺には、東寺参りや高野山参りは、四国八十八箇所巡りとは別のことです。

結願や満願という言葉を各自が勝手な定義で使ったのでは、意思の疎通は不可能になりますね。どうしたら良いのか、じっくり考えてみます。

2020/03/23 (Mon) 21:42 | EDIT | REPLY |   

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